ビニール傘が好き

ビニール傘が好きです。

 

 

昔から好きだったわけではありません。一、二年前から。コンビニでお高いビニール傘を仕方ないと買ってから。

 

 

一目惚れてました。

いや、手に取ってレジを通して店の外で広げるまでは何も思っていませんでした。

ただの傘、道具、好きとか嫌いとか以前に何も感情を抱いていませんでした。

傘を開くまでは。

 

 

まず思った以上に大きい。ただ面積が広いってよりは、少し丸み帯びているので包み込まれる感じがある。

 

骨が結構しっかりしている。折りたたみ傘のようなやわやわとしなりパキパキ折れ曲がることなく、しっかりと芯を持ってまっすぐ手を広げている。

 

柄の部分は折りたたみ傘と違って始めからその長さのまま。ここがまたしっかりと硬く太い。だからぐっと握りしめて体を寄せられる。

 

ビニール傘だから特に柄はない。ただおろしたての白さがあるだけ。そのシンプルさがまた美しかった。この時買ったのはただの透明なものではなく、白く靄がかったものでした。それがまた女性の純白なスカートを思わせて綺麗だった。

 

 

夜遅くの雨降る帰り道、ということでなんだか気分が沈んだところに新調した傘が来たのだから、ただ単に気持ちが緩んだだけかも知れません。しかしやはり惚れてしまったのです。改めて気付いたビニール傘の造形美にやられてしまったのです。降りしきる雨から自分を濡らしながら私を包んでくれるビニール傘に惚れてしまったのです。

 

 

生きていく中で新しく出会うものより、気がついたらあった、当たり前のようにそこにいたものの方が多い気がします。 

というか、大概のものって、触れていてもそのものを思考する意識下にいれたことのないんじゃないでしょうか。

ものを見るものさしとして、サケであれば「美味しいか不味いか」、ハサミであれば「使えるか使えないか」。

まあ本来の用途に適したものさしでそのものを見るのは真っ当に正しくそれが1番ですが、そのもの自身を改めてじっと見つめて見つめることでわかる発見もあるのかなあと思いました。